★ハインリヒを探せ!!@ベルリン★

その3:ベルリンの壁とハインリヒの個人史/後編



現在残っている壁の様子をいくつか。

まずポツダム広場周辺。何枚かの壁が記念碑的に設置されています。


遠くに東側の象徴・テレビ塔を望む。


 
Sバーン(高速都市鉄道)駅前の、すっかり記念写真スポットな壁。裏面にはピースマークが。



この高さ、道具なしによじ登るのはちょっと無理!

少年院脱走常習犯だった、新ゼロジョーならぴょ〜〜んといけるかもしれませんが!?




↑ポツダム広場横を、くの字に曲がりながら南北に走る道。かつてこの道に沿って壁があったのです。

今では真新しい高層ビルが立ち並ぶ、何のへんてつもない大通りですが・・・。

この道は古いベルリンの境界で、18世紀に市壁が築かれていたところでした。ベルリンの壁は、奇しくも

この市壁を再現してしまったわけです。外敵ではなく同胞を分かつために・・・。この道を北へ行くと、

市壁と同時期に建てられたブランデンブルク門、そしてライヒスタークがあります。



南へ向かって歩いてみました。工事現場の道沿いに、壁が残っています↓




ここも瞬く間に景色が変わっていくのでしょうね。

東へ曲がると、前項でご紹介したテロのトポグラフィー。表面が削られて中の鉄筋がむき出しになっている

壁が、100mほど続いています。




ここを越え、元壁があった通りをさらに東へ進んだところに、チェックポイント・チャーリー、そして

壁博物館があるのでした!!




↑ここがチェックポイント・チャーリーです。

ベルリンの壁があった頃。東西を車両が行き来する時、必ずこの、アメリカとソ連が管理する検問所・チェッ

クポイント・チャーリーを通過せねばなりませんでした。そう!

アルヒルが壁を越えようとしたのは、まさにここなのです〜〜〜!


バックにはこちらも今や観光地にお決まりの、v○dafone巨大看板。
2002年にフェラーリのスポンサーになった時には全然知名度がなくて、
「白鶴の○(まる)」?とか冗談にされてたのにな〜〜〜スゴイ浸透度だわぁ。



近付いてみましょう。レプリカの検問所が見えますね。飾られているポートレイトは、ベルリンの有名な写

真家が撮影した、米ソ兵士の肖像とか。ちなみにこれは西側から見ているので、ソ連兵です。




東側から見たところ。土嚢が積まれていて、たくさんの花が手向けられています(涙)



壁建立当時の様子は絵ハガキで知ることができるのですが、この検問所はほぼこのままでした。ただし、検

問所の周りには米軍の戦車(!)やジープがひしめいており、多くの軍人や軍犬が警備に当たっているので

す。大通りを隔てた向こう側には、これもソ連軍の大軍がびっちり待機していて、文字どおりお互いにらみ

合っているのでした。




別の絵ハガキでは、車両が直線突破できないように材木で障害物が作られているのが分かります。原作に描

かれたハードル(?)とはちょっと違うのですが、雰囲気は似てますよね。




では車ではなく列車で移動する場合はどうだったか?

西独から西ベルリンへは、ノンストップの列車がありました。そして西ベルリンからSバーンで東ベルリン

フリードリヒ通り駅に入り、そこで1時間以上待たされて通関手続きをしたそうです。もちろんビザが

必要でした。

ベルリンを南北に貫くフリードリヒ通りには西独のUバーン(地下鉄)が走っていましたが、東側の駅は

猛スピードで通過していました。東側の兵士が機関銃を持って立っているのを、窓の外に見ながら・・・。

『ベルリン・天使の詩』では、列車が止まるのではなく、駅が止まっている駅と表現されています。言いえて妙です。






さて壁博物館です。

  ←壁博入口。左側にちらりと見えているのが、壁上部の丸い部分。


ここには壁に関するさまざまな資料が展示されています。

当時の写真や、子供たちが描いた壁の絵など・・・。

そしてゼロナイファンに最も興味深いと思われるのが、実際に東から西へ壁を越えた(そして越えられなか

った)人々の記録でしょう。

もうほんと仰天なアイデアが次から次へと展開されていました!!!



説明が独仏英語しかなかったのと(露語もあったのかな〜〜〜う〜ん??)ベルリン初日で時差ボケでねむ

ねむ&へろへろしていたのとで、いまひとつ解読が出来てなかったりするのですが、例えば・・・




スーツケースに詰め込んだりとか!





買い物カートに入れて子供を連れ出したりとか!!





ガールフレンドにソ連兵の制服を縫ってもらって
コスプレ
したりとか!!!(このへんはどうやら成功した模様?)





はたまた潜水艦を自作してみたりとか!!!!




ヒルダさんのライオンコスプレが決してギャグではないと思い知らされることしきり。

これはつまり、それだけ壁を越えるのが難しかったということなのでしょう。



壁博には他にもさまざまな記事が紹介されていました。例えば東側に残して来た妹を救うために、地下通路

を掘ったケースとか(『トンネル』というタイトルで、2001年に映画化)。

自動車に隠れて脱出を試みた、その原物も展示されていました。どこに隠れたか、クイズ形式になっていた

んですけどさっぱり分からず?? どこにしてもかなり厳しい環境と思われます。



ところで、福田淳一氏は『サイボーグ009研究叙説Vol.1』で、“ハインリヒは西独出身で、東独からヒルダ

を連れ出そうとした”説を展開されていますが、壁博の展示を見ていると、もしかするとそちらの方が自然

かもなぁ・・・と思ったりしました。

東西といってもひとつの街なのですごく近いですし、一夜にして離ればなれになってしまった家族や恋人

たちが、実際たくさんいたようです。有刺鉄線が張り巡らされた直後、警備する兵士の目を盗んで赤ん坊を

手渡している父母の姿が写真に残っていたり・・・その後どうなったの??(T_T)

なにより有望な人材や若者は早くから西側に移住したらしいので、戦略家のハインリヒがぐずぐずしてるか

しら・・・と思ってみたり。まぁ壁越え前夜の、切ないアルヒル二次創作大好き人間としては、どちらでも

かまわないんですが!?




西側のデータによると、壁を越えて逃亡した者は、5,043名。

国境で逮捕された者は、5,221名。

死者80名、うち射殺された者は、60名。負傷者は、118名と言われています。






ベルリンの壁が崩れた翌1990年、米英仏ソはセレモニーを行い、正式にチェックポイント・チャーリーを閉

じました。わずか14年前まで(日本は平成ですよ!?)、このような妙な「国境」が存在したことに驚きを

禁じ得ないのですが・・・でも21世紀になった今でもなお、日本のお隣には分かれたままのお国があるので

すよねぇ。

そして歴史はくり返す・・・パレスチナの新しい「壁」。



『ベルリン・天使の詩』で、サーカスのブランコ乗り・マリオンが天使・ダミエルに語りかける、愛の言葉

をアルヒルに託して、この項を終わりたいと思います。

近い将来、隔てられた人々が平和的な形で手を取り合える日が来ますように・・・。




次はいよいよ! ハインリヒ探しの顛末を報告いたします(^_^)/





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