完結編を待ちつつ読みたい石ノ森萬画【コラム】


完結編に関する考察 by 緋鳥




1、「完結編」って何なんだろう?

 平成版アニメの最終2話を観て… その思いは沸々と沸きあがってきました。
(これは『天使編』や『神々との闘い編』の正統的な続編なの?)…と。
 完結編アニメ冒頭部… 「今までの『サイボーグ009』という作品は、実は並行世界から送られた<電波>を受信した石森章太郎氏によって描かれたものであった」というメタフィクション仕立ての展開で物語は始まります。石森氏が作中に出演するという演出はかつて多くの作品(ブルーゾーン、アガルタ他)で用いられた手法なので特に違和感は無いのですが、要するにこのシーンによって30年以上間隔が開いてしまったことによって生じた様々な不整合性や、過去の作品同士の矛盾点を一旦リセットしてしまおうという意図が読み取れます。
 これは物語を進める為には非常に鮮やかで合理的なやり方でしたが、同時に平成アニメで描かれた<完結編>が、『天使編』や『神々との闘い編』の正統的な続編であるというスタンスを完全に放棄した瞬間でもあったのです。



2、『神々との闘い編』の呪縛

 <『天使編』の続きは読みたいが、『神々との闘い編』はちょっと訳分んなくて…>
 その様に感じられている方は結構多いのではないのでしょうか。(逆に<ジュン>の作風に魅了された方の多くは『神々との闘い編』の前衛的な雰囲気がたまらないと感じられたのかもしれません)
 この当時の石森氏は作品ごとにチャレンジを繰り返していました。あまり書くと論旨がずれてしまうので止めますが、この当時の作品の計算し尽くされた「コマ割」や映画を凌ぐ演出の上手さは正に天才でしたし、また石森氏も自分の才能に真摯であろうと努めていたふしがあります。
 『神々との闘い編』を描かれていた頃の石森氏は正に『前衛漫画家』としてのピークにあったと断言できます。
 ところで… 伝説的ギャグ漫画家(例えば『マカロニほうれん荘』の鴨川つばめ)が、余りにもギャグが高度になり過ぎた為、読者が付いてこられずに最終的に失速してしまうという事例がたまに起こります。まさにこれと同じような状態がSF漫画家 石森章太郎においても起こったのではないでしょうか?…。
 リュウ3部作第1弾『リュウの道』は漫画というフォーマットを使っていましたが、SF的マインドに満ち溢れた作品であり、フォーマットを超えて普遍的な意味で優れたSF作品でした。そう、ここまでは多くの読者もついてこられたと思います。もし、初期の雰囲気のままで連載が続いていたならば、『神々との闘い編』は、あるいは『リュウの道』に良く似た雰囲気の崇高な作品として完結していたかもしれません。
 しかし、『神々との闘い編』は回を重ねるごとに、スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』終盤のシーンにも匹敵する難解さを呈して行きました。作品の前衛度がエスカレートしていった結果でした。程なくSF漫画は「SFそのもの」である必要はなく、読者や編集部が求めているものもまた「自分が描きたいもの」とは違うという事に気が付いた石森氏は、自分の演出技法の実験場と化した『神々との闘い編』の商業誌での継続を放棄せざるを得なくなったのだと思います。
 またそれ以降、石森作品は演出技法の面だけでなく、絵的な面においても、リアリスティックな劇画調を抑え、かつての低等身のギャグ漫画調に徐々に戻っていきました。
 そうすることで売れっ子漫画家としての失速を最小限に食い止める事に成功した石森氏でしたが、天才的な「前衛漫画家 石森章太郎」としての命脈は断たれ、後に「職人的巨匠萬画家 石ノ森章太郎」として認知される存在となっていきました。

 正直な話、『リュウの道』以降の石森氏の作品の中に「どうせ、高度なストーリーは分んないだろうし、殆んどの読者を満足させるにはこの程度で充分だろう」という無言のメッセージを感じるのは私だけでしょうか?



3、『番長惑星』と『アガルタ』

 それでは、前衛的演出を放棄して『神々との闘い編』を描いた場合どういう雰囲気の作品になるのか?
 その一つの回答例が『番長惑星』でしょう。この作品は円盤、中南米の古代文明のオーパーツ、モアイ、鳥人、ピラミッド、地球外文明人、人類の遺伝子操作による人工進化、超能力の覚醒などなど… 細かな設定から全体の構成に至るまで、『神々との闘い編/天使編』に酷似しています。また「異星人=神」の存在が二元的に描かれている点も、『神々との闘い編=天使編 + 悪魔編』という図式を取る予定だという『神々との闘い編』に準じているように思えます。
(また、次の時代への過渡的な作品とも言うべき『ストレンジャー』という作品に於いても、神と人間の関係に関して非常に似ている部分があります)
 『星の伝説アガルタ(アガルタ)』は基本的なストーリーの骨子が『番長惑星』と良く似ています。さしずめ少女漫画版『番長惑星』といった感じですね。また、作中でてくる東北地方北部のキリスト伝説とUFOの関連性を絡めた「石森ロジック」は『神々との闘い編』の終末部に出てくる風景に対する回答になっていると見ることも可能です。
 何れにせよこの2作品は『神々との闘い編』の姉妹作というべき位置付けの作品だと言えると思います。



4、サイボーグ009原作後期作品に見る『神々との闘い編』へのアプローチ

 サイドストーリーに特化した展開を見せた所謂「原作後期作品群」ですが、その中で『神々との闘い編』へのアプローチへの試行錯誤を試みていたと思われる作品があります。以下の作品です。

*『海底ピラミッド編』
 この話というのは基本的には『海の底編』のリメイクと捉えても差し支えないと思いますが、描き方次第では充分に<完結編>と言える内容になり得た作品でした。
 この『海底ピラミッド編』に『イシュタルの竜編』の要素を加味し、<リュウ3部作>的なアプローチで描かれた作品が『ギルガメッシュ』です。作品の出来不出来はともかく、スケールに於いては<009完結編>として通用する壮大な話でした。

*『アステカ編』『風の都編』『サルガッソー海編』
 これらの作品は逆に『番長惑星』の中のエピソードを細かく切り取って『サイボーグ009』のサイドストーリー用に再構築している話です。この中でも特に『アステカ編』はプチ『神々との闘い編』とも言える内容でした。

*『ディープスペース編』
 MFコンプリートブックによると石森氏はこの掌編群を「完結編へ向けての落穂拾い」とご自分で評されていたようです。

 『海底ピラミッド編』… 惜しいですね。SFというよりはスペースオペラ的テイストが濃い作風になっていましたが… アレンジ次第では充分完結編になり得た作品です。



5、サイボーグ009完結編 -Conclusion God's War-

 さて… 総論です。
 石森章太郎(後に石ノ森)氏は『神々との闘い編』以降、『番長惑星』『アガルタ』『ギルガメッシュ』『ストレンジャー』等で『神々との闘い編』と似たテーマを扱った作品を描き、また009のサイドストーリーの中でもその断片を織り交ぜながら<完結編>へ向けての構想を練っていたのでしょうが、予定されていたコミックアルファ(現コミックフラッパー MF社)での『サイボーグ009』執筆再開を果たすことなく1998年に永眠されました。
 にもかかわらず、石ノ森氏が残された膨大な量のプロットを基に作られたという<完結編序章>のアニメを、2002年に私たちは目にする事が出来ました。(残念ながら全貌はまだ見えていません。本編は小説という形態で発表されると言われていますが…)
 <平成完結編序章>の印象はやはり、<集大成>という言葉が相応しいと思いました。
 『神々との闘い編』の正統的な続編を望んでいた人の中には少々落胆された方々もいらっしゃると思いますが、『神々との闘い編』のエピソードのみならず、『アステカ編』や、かつて流行った邪馬台国ブームを髣髴とさせる、石森氏お得意の『ヒミコ』の登場と<カタルシスウェーブ>照射…。さらには沖縄の海中神殿遺跡(?)を取り込むなど、一段とパワーアップしているのは確かです。エンターテイメント的には期待できると思いたいですね。

 結局の所、サイボーグ009という作品のレトラスペクティブな部分を上手く演出で料理し、細かい粗探しをさせる気にもならない魅力的な物語にできるか否かに、全てがかかっているように思うのです。(そういった面でキカイダーは成功していました。やれば絶対出来る筈なんです!)
 まあ…『神々との闘い編』という呪縛を捨て去ったのですから、もっと自由に楽しくやって構わないと思うのですが、「何故主人公が島村ジョウじゃなければならないのか?」…これだけは明確に描いて欲しいものです。本当に。

 最後に… 本家の『完結編』とは別に、石森精神の正統的な後継者による、もう一つの『完結編』が現在、某商業誌に連載中です。それは、村枝賢一氏の『仮面ライダーSpirits』です。

 何故、『仮面ライダーSpirits』なのか?

 村枝氏曰く「仮面ラーダーのフォーマットを使って<サイボーグ 009>をやりたい」というのがこの作品の基本コンセプトなのです。平成ライダー(クウガ、アギト)も『神々編&天使編』からインスパイアされた部分が色濃く反映された作品でしたが、『仮面ライダーSpirits』もまた確信犯的に『009』を狙っています。特に少女コミックや少年サンデーに連載されていたエピソードが好きな方には是非、一読をお薦めいたします。濃厚な009テイストに出会える筈です。(ネタバレになるのでこれ以上は言及しません)

 石森氏直々に続きの執筆を指名された島本和彦氏による『島本版スカルマン』もまた、そのラストに於いて『神々との闘い編』をオマージュしていましたが、「カタルシスを語らない」という部分まで石森テイストを引き継いでしまいました。

 そして、今『仮面ライダーSpirits』です。村枝氏はやってくれると信じたいものです。
 その終局にこそ、フォーマットを変えた、真の『009完結編』が存在するのかもしれません。

【緋鳥記】





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