Calling
今私はルーブルに居る。
バレエ教室で知り合った友人とその妹さんに、「妹が冬休みの間に
パリの美術館を見て回りたいのだけど...」と案内を頼まれたのだ。
大きな公演は暫く無いし、久し振りに兄さんの顔も見たいし...私も
二つ返事で承諾した。勿論、ギルモア博士を含めたメンバー達も
快く送りだしてくれた。まあ...若干一名には拗ねられたけれど。
「フランソワ−ズ!お待たせ!」
その仔犬の様な彼の様子を思い出して苦笑いしていたら
友人、令子とその妹で美大生の朝子がミュージアムショップから出てきた。
「何かいいものはあった?」
「図録を買ったわ。悩んだんだけど、必要なものだし」
朝子さんがにっこりと笑って袋を持ち上げた。そして興奮覚めやらぬ、といった
口調で続けた。
「それにしても...ほんっとルーブルって広いのね!一日じゃ回りきれないって
嘘じゃないわね」
「ええ、そうね」
「ま、ルーブルに来たのが遅かったのもあるけど」
「朝子がルーブルの前にモロー美術館に行きたいなんて言うからよ。あそこ
を探すのに随分時間をくったわ」
「だって!まさかあんな住宅街の中にあるなんて思わなかったんだもの!
それに、地元民だからフランソワ−ズさんなら分かる、と思ってたのに」
「ご、ごめんなさい...」
「近くに住んでいる人程かえって知らないものなのよ。ごめんねフランソワ−ズ、
気にしないで。こんな我侭ムスメの言う事なんか」
「誰が我侭娘なのよ!」
姉妹はぽんぽんと威勢よく口喧嘩を始めた。何というか...彼女達は2人とも
物事をずばずば言うタイプで、日本を発つ前からこの調子なのだが、
言いたい事を言い尽くした後はけろりとしてまたもとの仲良し姉妹に戻るのだ。
そんな2人に挟まれての旅行は始めは戸惑いもしたがとても楽しいものだった。
こんな風に賑やかにパリの街を歩くのは本当に久し振り。
「ね、ねえ?ところで.....折角だからうちに寄らない?兄が是非2人に会いたいって」
「えーっ!?フランソワ−ズさんのお兄さん?あの噂の美形の?!」
「いいの?!フランソワ−ズ」
「勿論よ。もうすぐ近くなのよ、私の家」
「おかえり、フランソワ−ズ。...やあ、いらっしゃい、ヤマトナデシコさん達」
玄関を開けるとジャン兄さんが笑顔で迎えてくれた。姉妹は大和撫子という
言葉の響きに大喜び。
「いまお茶をいれるから待ってて」
「私も手伝うわ、兄さん」
「わー、素敵ね、フランス映画に出てくるお部屋みたいね」
「フランスなんだから当たり前じゃないの」
「煩いなー」
愉快なこぜりあいはキッチンにも聞こえてくる。私はケトルを火にかける
兄の隣で上機嫌にカップを並べた。
「面白いでしょう?あの人たち」
「......フラン、さっき日本から電話があったよ」
「え?」
「帰ってきたら研究所に電話をくれって。例の小僧がさ」
「もう、兄さん!いい加減ジョ−のこと小僧っていうのやめて頂戴」
「小僧は小僧さ」
ふう.....。
私は軽く溜息をついて兄を見つめる。いつまで経ってもこうなんだから。
それにしても、......電話?
居間では3人の辿々しくも賑やかな日仏交流が行われている。そんな
3人に背を向けダイヤルを回す。なにかあったのかしら...
私がこっちに戻ってる時に電話をくれるのは珍しい事ではないけど...何か
嫌な予感がする。
「おお、フランソワ−ズはんか!ワテよ、張々湖よ!良かったアル、電話くれて」
「大人、どうしたの?さっきジョ−が電話くれたって...」
「大変アルよ、それが...わっ!」
「フランソワーズ!君か?!」
「ジョー?!」
電話の向こうで大人の抗議の声が聞こえる。どうやらいきなり受話器を奪ったらしい。
「ジョ−、もうどうしたの?あなたらしくないわよ」
「フランソワーズ......」
軽く口を尖らせて彼を叱咤したが、電話の向こうの彼の声は明らかに沈んでいる。
それは例えば私が傍に居なくて拗ねているとかごねているとかそういう類のものでは
なく、「本当に」沈んでいるのだ。
「頼む.....すぐ帰ってきてくれ。すぐにだ」
「え、ジョ−?どうしたの?」
「7....セブンが............僕の所為なんだ。僕の........」
「セブン?グレートがどうかしたの?ねえ、ジョ−?!何があったの?!」
思わず大声を出す。後ろで談笑してた3人が振り返る気配がするがお構い無しだ。
「フランソワ−ズ.....」
縋るように絞り出された小さな声。ああ、駄目だわ。
本当に「本物」だわ。
と、ふいに受話器の向こうの気配が変わる。
「フランソワ−ズ、儂じゃ、ギルモアじゃよ」
「博士?何かあったんですか?」
「すまんの、折角パリに帰っておるのに...。実は.....グレートが行方不明に
なったんじゃ」
グレートが攫われた。
しかも、ジョーの目の前で。
詳しい事は帰ってから話す。とにかく帰ってきてくれ。何しろジョ−がかなり
まいっておるんじゃ。
ギルモアの言葉が何度も繰り返し頭の中で響く。
ジョーの、目の、前で?
その言葉が今度の敵の恐ろしさを十二分に物語っている。
電話をおいてすぐ、私は兄さんと姉妹にかなり大雑把な説明をして
飛行機に飛び乗った。
急な話でご免なさい、と謝る私に姉妹は笑顔で首を振り、ハンサムな
彼氏によろしく!と言ってくれた。
兄さんは...案の定始めはむくれたが(帰るにも御機嫌とりをしなければなんて!)
しまいには優しく励まし、送りだしてくれた。
ジョーも兄さんも、結局のところ似てるのだわ。
そんな事を考えれば、少しは気持が軽くなる。でも........
ほの暗い飛行機の中。周りの人たちが静かな寝息を立てている中、
私の心はひとりざわついている。
ああ、なんて遠いんだろう。
なんてこの飛行機は遅いんだろう。
今すぐにでも皆の話を聞きたいのに。そして何より、目に浮かぶわ、
がっくりとうなだれてひたすらに自分を責めるあの人の姿。
今すぐにでも彼を励まして、抱き締めたいのに。
乾いた空気の満ちる薄暗い機内。私は目を閉じて両手を組んだ。
ああ、どうか、聖母マリア様。
どうかグレートを、そして皆を、私の大切な仲間達を。
どうか 守って。
fin
|
|
|